早読みポイント
- 谷口愛さんは美容関連商品を取り扱う会社「株式会社エー・アイ・クリエーション」の社長である。
- 15歳で借金4000万を背負う事となり、クラブホステスとなりその返済に奔走する。
- 約5年で借金を返済、化粧品会社に勤めた後渡米留学、帰国後日本のビジネスに不満を感じ起業。
ちょっと語れる予備知識
谷口愛社長は美容関連商品ブランドを立ち上げ、
中東ドバイにてビジネスを展開している女性経営者です。
平成21年に「エー・アイ・クリエーション」を兵庫県芦屋市にて起業。
平成26年に「MITSURU」というブランドを中東にて立ち上げました。
主にニワトリのトサカを完全分解し原料として用いたスキンケア製品等を展開しています。
「MITSURU」ブランドに対する思いとして、
中東に住む女性たちの化粧事情があるようです。
中東の女性は、伝統として顔の露出を衣装(アバヤ)で包み少なくしています。
その反動か、露出範囲に化粧を厚くしすぎるため、肌を傷めがちだそうです。
そこで、この問題を解決するために立ち上げたのが本ブランドだそうです。
なお、ブランド名には
女性の肌のハリと心を「満たす」という意味で付けたそうです。
では、そんな女性思いの谷口愛社長ですが、
一体今までどのような道を歩んできたのでしょうか?
そこには壮絶な人生模様があったようです。
幼少期 何故借金を背負ったのか?
15歳の頃、彼女は突然4000万円の借金を背負う事となります。
普通では考えられないですが、何故そのような事になったのでしょうか。
答えは彼女の両親にあるようです。
小学生時代の頃、谷口社長の父親が突然失踪してしまいます。
そして、不幸は重なるものです。
母親が経営していた喫茶店が、事業に失敗し大きな借金を抱えてしまいます。
そこから地獄の日々がはじまりました。
家の中にある家財道具は差し押さえられ、電気や水道が止められます。
そして、取り立ての電話が鳴り響きました。
そんな環境に谷口さんの母親は途方にくれてしまいます。
しかし、この頃から彼女の人間としての底力が発揮されます。
どうにも立ち行かなくなった母親の代わりに借金の返済と生活費を稼ぐため、
年齢を23歳と偽り大阪北新地などでホステスとして働き始めます。
北新地は大阪でもトップクラスの飲み屋街。
高級クラブ等が立ち並ぶ場所です。
この時点で、彼女の度胸の凄さと経営者としての勘が出ています。
通常、そのような場所へは「ビビって」働きに行こうとはしません。
ホステスをするにしても、地元やそれなりのレベルの所で
「まずは」勤めようとします。
ですが、彼女の場合は稼ぐ事にフォーカスし、一番実入りがいい北新地という
最もホステスとしてスキルが求められる場所へと飛び込んでいきました。
しかも、未経験です。
通常の人間では、なかなか出来ない決断と行動です。
それを谷口さんは行ったのです。
ホステス期~起業まで どこで働き、どのような生活だったのか?
前述の通り、谷口さんは北新地等でホステスとして働いていました。
15歳~17歳の間はずっとホステスとして勤めていたそうです。
その年収は1千万円を超えていました。
そして17歳の頃、ヤクザの親分とは知らずとある男性と付き合っていたようです。
この人が学校に行けるようにと1000万を出してくれたそうです。
この事もあって、20歳の頃には借金はほぼ返済できたそうです。
そこで一区切りついたと谷口さんは水商売の世界から引退します。
決してお金に執着していたわけではない事が伝わってきます。
必要であったから、自分が出来る最短最善の方法であったので、
ホステスとして勤めていたということでしょう。
水商売をしている間の事も
「どん底だった、ここからなんとかはい出したいと思っていた」と述懐しています。
その後、18歳になった谷口愛さんは化粧品販売会社へ就職します。
その時、中学までしか通う事が出来なかった事から
「学び」への意欲が高まり、
家庭教師を雇い、中学校の勉強から学び直したそうです。
「学び」への意欲は止まる事を知らず
働きながら通信制高校で学習し、大検に合格します。
31歳にして神戸の女子大学に進学しました。
実はこの間に大手製造業の東京大学出身の男性と結婚していたそうですが、
後々、残念な事に離婚してしまうそうです・・・。
谷口さんの学びへの探求心はより大きくなっていきます。
その高まりから、女子大を中退しなんとアメリカへと渡ります。
思い立ったら即決断、ビビらないというのは小さい頃から徹底しています。
フロリダ州の名門ステッソン大学を受験し、34歳で合格したそうです。
政治学と国際関係学を専攻したそうで、
卒業時には成績優秀者となっていたとの事です。
米国滞在時には大統領選の選挙スタッフなどとしても活動していた事があるそうです。
帰国後、就職先を探す為に履歴書を何百枚も送ったそうです。
しかし、40歳近い女性の就職は相当に厳しかったようです。
ご本人のお言葉をお借りすると
「日本では、高校にも行っていない身では
米国の大学で睡眠4時間で頑張っても評価されないと悟った」
との事だそうです。
ここから、彼女の起業家・経営者としての人生が始まるのでした。
成功への道 美容商品を武器に、中東ドバイへ挑む
現在は芦屋に月30万円のマンションを賃貸で借り、
世界を相手にビジネスを発展させ、成功者の道を行く谷口社長ですが、
今までご覧頂いた通り、決して順調な人生ではなかったのです。
私見ではありますが、
谷口愛社長は逆境にあう事で尋常ではない結果を生み出す方に見えます。
故に、この起業は必然だったのかもしれません。
平成21年に起業し、
まずは日本企業の中東湾岸諸国での事業進出支援等を手がけてきました。
この事業は、かつて米国に住んでいた際、
中東の有力者と出会いがあった事が原点だそうです。
自らのビジネスには学生時代に培った人脈が生きているとの事です。
では何故、谷口愛社長は日本で美容関連商品のビジネスを行わず、
中東ドバイという土地を選んだのでしょうか。
前述の理由とは違った理由もあるそうです。
谷口社長はこう語りました。
『日本の社会は再チャレンジを許さない。
会社を潰したり、高校に行かれへんかったりしたら挑戦の道がほぼ閉ざされている。
中東は手ごわい商売人が多いけど、立ち向かってくる人には「やってみろ」という空気がある。
中東の激戦地で評価され、将来的に日本に逆輸入し「ほしい」と言わせたい。』
是非、これからも「逆境へ立ち向かう」力で
大きな成長を遂げ、成功の道を邁進して頂きたい方です。
現在の日本に流れる保護の意味合いが強い「男女平等」という空気とは別の、
「男も女も関係あらへん、どんどんやったらええんや!」という攻めの、
そんな豪胆な思いも伝わってきたそうですね。
参考サイト